「子どもたちのよりよい成長を支えるために」
福島県高等学校PTA連合会 会長 原 正幸
日頃より会員の皆様におかれましては、各地区会及び県連の活動に対してご理解とご協力をいただいておりますことに心より感謝を申し上げます。
長きにわたるコロナ禍により、学校においてはいまだに教育活動にさまざまな制約があるところですが、PTA活動もその例に漏れず、各校それぞれにご苦労をされていると拝察しております。県高P連におきましても、定期総会が3年連続で書面開催となってしまいました。ただ、これまで完全に中止としていた研究大会は、第72回郡山大会として、講演のみではありますがオンライン配信を行い、研修機会の確保に努めました。
そのような中、盛岡市における東北大会、石川県での全国大会は、規模を縮小しながらも久々に現地でのリアル開催となりました。そこで感じたことですが、人々が集い、顔を合わせ、言葉を交わすことがいかに大切なことであるか、それを改めて実感いたしました。本県からも多くの会員の皆様が参加されましたが、そのありがたさや充実感を同じく感じられたのではないかと思っております。
多くの制約がある中、先生方はさまざまな工夫をしながら授業や部活動の指導に当たっていただいているところですが、それでも子どもたちへのコロナ禍の影響は避け難いものがたくさんあるものと思われます。社会のあり方も大きく変わろうとしております。このような状況に対し、私達PTAも学校・家庭・地域と連携しながら、子どもたちのバランスのとれた成長を支えるため、何ができるかを考え、できる限りのことをしていかなくてはと考えております。
本会は、県内各地区PTAの連合体として、研修大会や4つの委員会活動を中心に研修と交流を図ることにより、福島県の子どもたちのより良い成長を支えていくことを目指しております。一日も早く皆様とリアルでお会いできるようになり、意見を交わし、知恵を出し合い、私たちの活動がさらに充実したものとなるよう力を合わせて参りたいと思いますので、今後ともご協力をよろしくお願いいたします。
3年連続の書面開催・研究大会は講演会のみweb配信 ~R4総会・郡山大会~
コロナ禍により、この2年間対面での総会及び研究大会の開催を見送ってきたところでしたが、5月9日に開催した理事会において、新型コロナウイルスの感染状況、特に学校関係の状況を考慮するとやはり開催は難しいと判断し、本年度も総会は書面により開催することとなりました。
書面による総会は令和4年5月31日付けで開催され、各単P会長及び理事に提出の5議案について表決をいただいた結果、いずれも賛成多数で可決されました。
研究大会については、本会の目的の一つでもある研修の機会を確保したいとの考えに、講演の講師としてお願いしていた福島大学の前川直哉先生のご理解をいただき、講演のみをオンライン配信により開催することができました。
なお、第72回郡山大会については、準備に当たってこられた県南地区実行委員会をはじめ関係の皆様に、心からお詫びと感謝を申し上げる次第です。
3年ぶりのリアル開催が叶う ~第71回盛岡大会~
いわき湯本高等学校 PTA会長 箱崎洋一
3年振りにリアル開催が叶いました、「第71回東北地区高等学校PTA連合会 盛岡大会」は、「えん」~応えよう、授けよう、団まろう!子どもたちの未来のために~を大会テーマに掲げ、研究協議テーマを「新しい生活様式における持続可能なPTA活動とは」とし、東北六県代表によるパネルディスカッションが行われました。また基調講演では、株式会社南部美人 代表取締役 五代目蔵元 久慈浩介氏を招き、南部美人の挑戦~地域を照らす光になるために~を演題として、国内での需要が減少しつつある日本酒を、その歴史や製法と共に世界各国に広げ、その後も地域に根差した造り酒屋として精力的に活動されているという、まさに地域を照らす光であり、子どもたちへ未来の可能性を指し示す光であると感じられるような迫力ある講演をいただきました。大会会場全体も新型コロナウィルス感染拡大防止策も徹底されながらも、東北大会として素晴らしい設営でした。短い期間ではありましたが、大変有意義な時間を過ごすことができました。
来年度開催される第72回東北地区高等学校PTA福島大会も更なる成功を祈念いたします。ありがとうございました。
3年ぶりの現地対面+オンラインでの開催 ~第71回石川大会~
福島高等学校 PTA会長 齋藤重徳
8月25(木)、26日(金)の二日間、第71回全国高等学校PTA連合会石川大会が「輝く未来への礎~親から始める新時代の教育~」のテーマのもと、石川県金沢市において開催されました。一昨年、昨年と新型コロナウィルスの影響でそれぞれ中止、オンラインのみの開催、今回も開催直前の感染第7波の影響もあり当初より参加者が少なくなってしまったものの、三年ぶりの現地・対面での開催となり、全国各地から約5000名の会員が会場に集い、本県からも16校約40名の参加(加えてオンラインでの参加18校)がありました。
大会1日目はバトントワリングや筝曲、合唱などのアトラクションに続いて開会式が行われ、馳浩石川県知事のユーモアあふれる挨拶の後に各分科会が行われました。
大会2日目は記念講演として(株)ファミリーマートの顧問 澤田貴司様から「やりたいことをやる」のテーマでお話をいただきました。自らの経験談を交えながら「組織はリーダーによって99.9%決まる」「ひとりでも多くの人を『物心両面』で幸せにするのがリーダーの使命である」「やりたいことをやるのには責任が伴い、自らの逃げ場をなくすことで努力する~自己成長につながる」など参加者の皆さんの心に響く熱い講演でした。(予定時間をオーバー、途中から上着を脱ぎYシャツの袖をまくっての熱弁)
大会の合間には県内各校参加者間で交流をはかり、少しでも情報共有し参考になったところを自校に持ち帰ろうという積極的な姿勢が見られました。
来年度はお隣の宮城県は仙台市で全国大会が開催されます。今年度に引き続き全国の会員の皆様が一堂に集い、笑顔で交流と研修が出来ることを祈念いたします。
[顕彰規程第2条による表彰(PTA活動)] (敬称略)
№ 所属校(R03年度) 氏 名
1 小名浜海星高等学校 木船 憲一
功績:平成26年度から令和3年度まで、単位PTAの会長を6年(H27,28,30,R1,2,3)、副 会長を2年(H26,29)歴任し、地区役員や専門委員長を務め、いわき地区のPTA活動に尽力した。また、小名浜海星高校開校にあたって、PTA統合のために様々な意見に耳を傾けて活気ある組織をつくりあげた。
[顕彰規程第3条による感謝状の贈呈] (敬称略)
№ 所属校(R03年度) 氏 名 役 職 名
1 安積高等学校 武田 賢一 会 長
2 伊藤 靖隆 理 事(県連事務局次長)
3 福島西高等学校 佐藤 千花 副会長(県北地区会長、健全育成委員長)
4 遠藤 均 理 事(県北地区会事務局校長)
5 伊藤 靖幸 理 事(県北地区会事務局長)
6 保原高等学校 齋藤 睦 理 事(進路対策副委員長)
7 宍戸 洋 理 事
8 岩瀬農業高等学校 星 文乃 副会長(県南地区会長、進路対策副委員長)
9 髙橋 豊治 理 事(県南地区会事務局校長)
10 亀岡 丈朗 理 事(県南地区会事務局長)
11 郡山高等学校 秋山 雅邦 理 事(調査広報副委員長)
12 安積黎明高等学校 佐藤 茂 監 事
13 若松商業高等学校 本名 由美 副会長(会津地区会長、進路対策委員長)
14 佐藤 京治 理 事(会津地区会事務局校長)
15 会津工業高等学校 押田 将規 理 事(健全育成副委員長)
16 平商業高等学校 小平 充 副会長(いわき地区会長、調査広報委員長)
17 木村 敏明 理 事(いわき地区会事務局校長)
18 磐城桜が丘高等学校 根本 浩一 監 事
19 新地高等学校 森 司 副会長(相双地区会長、健全育成副委員長)
20 髙野 敦史 理 事(相双地区会事務局校長)
21 高橋 優太 理 事(相双地区会事務局長)
22 相馬農業高等学校 大塚 禎宏 理 事(進路対策副委員長)
23 有我 紀子 理 事
[令和3年度福島県高P連広報紙コンクール]
≪優秀賞≫
№ 学 校 名 紙 名 備 考
1 福島県立保原高等学校 あぶくま 東北地区コンクール・優秀賞
2 福島県立小名浜海星高等学校 PTA会報 東北コンクール・優良賞
3 若松商業高等学校 明 浄 東北コンクール・優良賞
[他の関係機関・団体の顕彰者] (敬称略)
(1)第71回東北地区高P連盛岡大会受賞者
《表彰状》
№ 所属校(R03年度) 氏 名 役 職 名
1 岩瀬農業高等学校 星 文乃 県高P連副会長
2 新地高等学校 森 司 県高P連副会長
《感謝状》
№ 所属校(R03年度) 氏 名 役 職 名
1 安積高等学校 武田 賢一 東北地区高P連理事・調査広報委員長
2 福島西高等学校 佐藤 千花 東北高P連代議員(健全育成委員)
3 若松商業高等学校 本名 由美 東北高P連代議員(進路対策委員)
4 平商業高等学校 小平 充 東北高P連代議員(調査広報副委員長)
(2)第71回全国高P連石川大会表彰者(役員等、団体表彰)
《表彰状》
№ 所属校(R03年度) 氏 名 功 績
1 安積高等学校 武田 賢一 県高P連会長、東北地区高P連調査広報委員長、全国高P連調査広報委員
2 平商業高等学校 平商業高等学校PTA PTA活動の活性化(第71回県高P連いわき大会実行委員会事務局、調査広報委員会事務局)
4項目の要望書を手渡す ~県教委への要望活動~
10月25日に県庁において恒例の県教育委員会への要望活動が行われました。昨年度はコロナ禍のため人数を限ったものとなりましたが、本年度は会長、副会長全員が揃っての活動となり、原正幸会長から大沼博文教育長に4項目からなる要望書を手渡し、教育長からそれらへの対応についての回答があり、その後、教育庁幹部と本会役員との懇談が行われました。
要望の重点として掲げた項目についての回答は下記のとおりです。
県立高校改革に伴う統合校の校舎方式については、教育活動に支障のないよう努めるとともに、優先してICT環境の整備や教員の加配を行い、特色ある学校づくりができるよう十分配慮する。
成人年齢の引き下げへの対応としては、新たな科目である「公共」や「家庭科」の授業において主権者教育、消費者教育、金融教育等に力を入れるとともに、県選挙管理委員会、消費生活センター等と連携した出前授業も活用して指導の充実を図る。
各学校の運営経費については、前年度並みの予算は確保しているが、電気料金等の値上がりが続く中、不足額については補正で対応している。今後不足が出た場合にも予算の確保に努める。
なお、懇談においては、震災・原発事故からの復興に係る人材が必要な相双地区における職業教育の充実、ICTに関する先生方のスキルアップ等について話し合われました。
(1)健全育成委員会
(委員長 相馬農業高校 三ヶ森善智)
健全育成委員会委員長の三ヶ森善智です。
令和4年度健全育成委員会の活動報告をさせていただきます。
今年度も昨年に引き続き研修会等は行わなかったものの、委員会はリアル開催いたしました。
「登校時一声運動・マナーアップ運動」は73校中53校にて実施されました。実施率は、73%と東北6県中最下位でした。
感染予防対策が必要であったり、朝の時間に人が集まりにくいなど大変な部分もありますが、生徒との交流や相互理解の貴重な機会になっている。また、生徒、保護者、教職員の繋がりを深める活動にもなっているなど成果は上がってきているので引き続き実施していきたいとの意向が東北地区高P連からありました。他県の事例として、「警察との連携」や「県P連として仙台駅前での実施」等がありました。
東北地区高P連の健全育成委員会は第一回、第二回、第三回委員会すべてリアル開催。
第2回では、アートホテル青森にて講話と協議・報告会を行いました。弘前医療福祉大学短期大学部救急救命科 荒谷雄幸様から「防災教育について」お話ししていただきました。
第2回では、アートホテル青森にて講話と協議・報告会を行いました。NPO法人日本人材発掘育成協会 理事長 坂本勲様から「地域の魅力発見プロジェクト~地域で育てる高校生~」についてお話いただきました。
生徒たちが健全な高校生活を過ごせるよう、様々な角度から問題提起し、課題解決していける委員会を目指したいと思っております。
(2)進路対策委員会
(委員長 いわき総合高校 前田賢一)
今年度は、徐々に活動を広げていくことができました。
県進路対策委員会を年2回実施し、各地区の取組状況や課題を共有しました。専門委員会や研修会を開催した地区が増え、今年度は、県の商工労政部との共催で、講演「社会情勢の変化とイマドキ生徒の思考から紐解く保護者の影響力」、及びパネルディスカッションを、いわき、会津、県南の各地区で実施しました。この講演会は、現在Web配信されています。
また、秋田県で東北の進路対策委員会も開催されました。第2回委員会では、秋田市にある国際教養大学の視察と、国際教養大学の1期生、秋田ノーザンハピネッツ(株)代表取締役社長 水野勇気氏の講演が行われました。国際教養大学は図書館などの施設や留学制度が充実した実にすばらしい大学で、自主性あふれる学生たちの発表に感服しました。秋田県のすばらしい教育現場とそれを糧に活躍されている方の話を聞くことができ、今後この委員会でうまく取り入れられればと感じました。第3回委員会では、「子どもの進路へ親がどう関わっていくか」をテーマに、(株)リクルートの高橋卓見氏の講演と座談会が開かれました。
これらの活動で得たものをもとに、子どもたちが挑戦できる環境を整えていけるような高P連の活動をしていきたいと思います。
(3)調査広報委員会
(委員長 郡山高校 宗形真一)
令和4年度は、新型コロナ感染症対策を取りながら、2回の委員会活動を7月と1月に対面で行うことができました。
第2回委員会では、例年通りにPTA広報紙コンクールを実施し、各地区から選ばれた代表校と、県代表に選ばれた3校は以下の通りです。また、コンクールの外部審査員として、福島民報社編集局編集委員の後藤賢一様をお招きし、後藤様より参加校全体と各校への講評をいただきました。非常に丁寧な講評であり、次年度への参考になりました。
<各地区代表校> 県北 : 福島 福島東 保原
県南 : 郡山商業 須賀川桐陽 あさか開成
会津 : 若松商業 喜多方桐桜 会津工業
いわき: 小名浜海星 磐城桜が丘 平工業
相双 : ふたば未来学園 相馬農業 相馬
<県代表校> 保原高校(あぶくま103号)
若松商業高校(明浄72号)
小名浜海星高校(PTA会報3号)
※県代表3校の広報紙は、東北地区高等学校PTA連合会広報紙コンクールに出展
東北地区コンクール(各県3校 計18校出展) 2月10日(金)山形県にて開催
令和4年度東北地区高等学校PTA連合会 広報紙コンクール審査結果
優秀賞 福島県立保原高等学校(あぶくま103号)
優良賞 福島県立若松商業高等学校(明浄72号)
福島県立小名浜海星高等学校(PTA会報3号)
(1)県北地区
(会長 保原高校 佐藤 彰)
県北地区では引き続き新型コロナウイルス感染症対策により活動が制限される中、5月に県北地区の総会を行うことができました。 対面による総会及び関係者会議を実施できたことは大変貴重な時間となりました。 その他の委員会につきましては感染状況を見ながらギリギリのところまで開催を検討してきましたが、健全育成委員会、進路対策委 員会の進学小委員会並びに就職小委員会の研修会は、全てにおいて残念ながら中止とさせていただきました。 このように厳しい状況の中、12月22日とうほうみんなの文化センターに於いて、「令和4年度県北地区高等学校PTA連合会調査 広報委員会 広報紙コンクール」を開催することができました。各高校とも工夫を凝らし、どれも大変素晴らしいものでした。広報紙 はコンクールのためにあるのではなく、PTAの活動を紙面化し保護者の皆さんに広く知ってもらうために各行事の取材をもとに編集 を行い、手に取って見てもらえうような紙面作りをされていることが伝わってきました。 また、各高校とも総会や研修会などの対面での活動が制限されている中で、コロナウイルス感染症が一時的に落ち着いた時期に徹底 した感染症対策を行い、修学旅行や文化祭などの学校行事を実施できた学校もあり非常に嬉しく思います。 制限のある今だからこそ新しい時代に沿った考え方も出来ると思い、「できない」から「どうすればできる」へ、出来ることが当たり 前と思わず変化に対応した活動を行っていけたらと考えております。 最後に、県北地区は来年度「梁川高校」と「保原高校」が統合され「伊達高校」となり、「二本松工業高校」と「安達東高校」が統合され 「二本松実業高校」となります。両校がこれまでの活動内容を共有し、家庭と学校の連携に力を尽くし、新たな伝統を創りあげていって ほしいと思います。
(2)県南地区
(会長 郡山高校 宗形真一)
今年度の県南地区は、県高P連の第72回郡山大会の担当地区ということで、昨年度より準備会・実行委員会を書面・対面で実施して準備を進めてきました。しかし、5月初旬の県理事会で、残念ながら郡山大会は中止となり、講演会のみオンライン配信することとなりました。早くコロナが収束し、例年通りの県大会ができることを願ってやみません。
県南地区の活動は、5月下旬に予定されていた地区総会と役員会こそ書面開催となりましたが、9月の第1回役員会、11月の第2回役員会・地区研修会・専門委員会、2月の第3回役員会はすべて対面形式で行うことができました。特に、2年ぶりに開催された地区研修会と専門委員会は、例年よりも規模を縮小して行いましたが、コロナ禍における各校のPTA活動の様子や工夫などの情報交換ができ、非常に有意義なものをなりました。やはり、対面での交流こそがPTA活動を盛り上げる力になるのだと実感しました。
今後も、柔軟な対応と工夫を行い、各校のPTA活動が活発に行われることを期待します。
(3)会津地区
(会長 若松商業高校 阿部希望)
令和4年度の会津地区の活動は、新型コロナウイルス感染症予防の中、会議は書面決議、委員会は中止せざるを得ませんでした。11月の研修会も対面で開催することができず、zoomを活用しリモートにて開催しました。第1部「社会情勢の変化とイマドキ生徒の思考から保護者の影響力」と題し、株式会社セールスリンク・中山聖子氏より講演を頂きました。これからの時代における地元の魅力、進学後のUターンも含めて県内就職の魅力について紹介頂きました。また、難しい年代の子供と接する保護者の心構えと距離感を学ぶことができました。第2部、会津乗合自動車株式会社と株式会社シグマの人事担当者をパネラーにお迎えし「会津地域で事業展開をする魅力と若手社員のリアルな姿」をテーマに、パネルディスカッションを開催しました。会津地域で事業展開する魅力、各社の雇用への取り組み、若手社員の現状について知ることができ有意義な研修会となりました。
withコロナの時代、感染予防対策を徹底し当たり前のPTA活動が出来ることを祈念しています。
(4)いわき地区
(会長 いわき総合高校 前田賢一)
本年度は、だいぶコロナの影響が少なくなり、学校内外の行事が行えるようになりました。
喜ばしいことではありますが、まだまだコロナ禍は続いており、PTA活動をどう行っていくのかが今後も課題となっていると思います。
そうした中、いわき地区高P連では、感染対策を施しながら必要とする行事や活動ができたと感じております。
総会は書面開催となってしまいましたが、6月には地区合同専門委員会を実施することができました。朝のあいさつ運動は、10月と11月の2回、朝早くからJR各駅に多くの保護者が参加してくださいました。参加した方々からは、生徒の明るい挨拶が聞けたことだけでなく、保護者同士、保護者と教員間の情報交換の場として大切な場だったという意見が寄せられました。また、健全育成、進路対策、調査広報の各委員会で研修会を実施することができました。
今のような状況が続いたとしても、それに打ち勝つ適応力が社会全体に備わり、未来は明るいものになると思います。来年度に向けて、引き継がれる各校PTAの皆様の一助になるように残りの活動にも専念いたします。このような社会情勢の中、参加していただいた役員、委員の皆様には感謝申し上げます。
(5)相双地区
(会長 相馬農業高校 三ヶ森善智)
相双地区のPTA活動は、6月29日に相双地区PTA連合会第1回役員会・専門委員会を開催しました。各専門委員会に分かれて各委員長進行にて各高校の取り組みや現状について話し合いを行いました。今年度も新型コロナウイルス感染症の影響が出ているものの、少しづつ通常に戻りつつある状況です。校内外活動は昨年と同様に中止したものもありますが、ひと声運動、球技大会 学園祭 進路説明会 企業説明会 各地区大会 修学旅行等が行われました。
今後も新型コロナウイルス感染症の影響で各学校の予定変更等が考えられますが、PTA活動は柔軟に対応し事業活動が行われる事に期待いたします。役員会の中では、専門委員会はWEB開催、全大会は通常開催等の意見も出されました。数年振りにリアル開催した会議では、リアル開催の重要性も再認識されたところです。
最後になりますが、他地区と比べ生徒数減少が著しい相双地区としては、安易な統廃合計画を行わないよう福島県教育長に要望したところです。今後とも各校の発展に寄与するべく邁進する所存です。
第46回全国高等学校総合文化祭 とうきょう総文2022 小倉百人一首かるた 読手コンクールの部 最優秀賞
「全国大会を通して」 安積黎明高等学校 かるた部 伊東彩音
7月31日から東京都墨田区で開催された高総文祭の読手コンクールの部に出場しました。全国大会という夢の舞台で読手を務めることができて、本当に光栄でした。広い会場に畳が敷かれ、札を取り合う数百名の選手。読唱席から見た景色に感動しました。今年この舞台に立てるのは全国で3人のみ。これまでの練習を信じ、緊張感を楽しんで力に変えようと思い、一枚一枚を大切に集中して読むことを意識しました。最終日は和装で気持ちも引き締まり、今までで一番だと言える読みができたと思います。適確なご指導をしてくださった先生や先輩方、一番近くで支えてくれた家族、共に練習を重ね自信をくれた仲間への感謝の気持ちでいっぱいです。この全国大会を通して学んだことを忘れず、来年度の高総文祭で二連覇を果たすことを目標に、これからの練習に励んでまいります。応援よろしくお願いいたします。
令和4年度全国高等学校総合体育大会ウエイトリフティング競技 男子81㎏級スナッチ 優勝
「インターハイを終えて」 福島工業工業高等学校 ウエイトリフティング部 浪越晴太郎
今年の夏に愛媛県で開催されたインターハイでは、たくさんの方々からのご声援のおかげで結果を残すことができました。
インターハイの出場が決定してから、平日の練習や県選抜合宿などで、出場する仲間と共に猛練習を繰り返し、力を付けました。その甲斐があり、スナッチでは優勝という結果を残すことができましたが、クリーン&ジャークは怪我のため途中棄権という不本意な結果に終わり、悔しい思いをしました。結果こそは残念だったもの、次に繋がる試合となり、いい経験ができたのではないかと思います。今までサポートしてくださった先生方や応援してくださった福島県チームの方々に感謝しています。さらに、私以外にも、福島県チームが上位入賞するなどうれしいこともあり、いい思い出となりました。
私はこれからウエイトリフティング競技を続けるつもりです。まだまだ課題がたくさんあるので、今大会のことを糧に頑張っていきたいと思います。
全国高等学校ダンスドリル選手権大会2022 KICK部門 優勝
「郡高チアダンス部のこれからに向けて」 郡山高等学校 チアダンス部 佐藤佳里凪
今年度は、夏の全国大会でKICK部門優勝、昨年度からの二連覇という目標を達成し、3年生の先輩方と共に優勝チームによるアンコールステージに立つことができました。そして新体制となった私たちは、郡高チア部の伝統を引き継ぎ、今年も難易度の高いSONG/PON部門、JAZZ部門に挑戦することを決めました。
先輩方が引退し、自分たちでチームを引っ張っていかなければならないことやひとつの演技を完成させることの難しさに悩み、行き詰まることも多々ありました。11月に行われた秋季大会では、2部門共に全国大会への出場を決めることができましたが、今までに経験したことのない悔しさでいっぱいでした。その悔しさから更に私たちの心に火がつき、12月に行われたUSA大会では、JAZZ部門で、郡高チアダンス部初となるNationalsという全国大会への切符を手にしました。諦めないことの大切さを改めて感じることができた瞬間でした。
新チームになってからは、新しいことの連続で不安になったり、焦ったりと様々な苦悩がありました。部をまとめる立場となった今、一番に感じることは応援してくださる全ての方々への感謝の気持ちです。3年生の先輩方、顧問の先生、保護者の方々への感謝と、踊れることが当たり前ではないということを忘れずに、チアダンス部一同、努力していきます。これからも応援よろしくお願いします。
令和4年度全国高等学校総合体育大会自転車競技 男子チームスプリント 第2位
「勝ちたかった」 平工業高等学校 自転車競技部 大井川良生
私たちは、8月4日〜7日にかけて香川県で行われた全国高等学校自転車競技大会団体チームスプリントに出場しました。この競技は3名の選手が1列になって走り、1周毎に先頭の選手がロケットの切り離しのようにコースから外れていき、最後の選手がゴールした時のタイムを競う種目です。予選では全体1位の1分16秒424で通過することができ決勝に進むことができました。しかし、決勝ではスタートで出遅れてしまいました。第2走者で逆転できたものの、第3走者で負けてしまい2位という結果でした。優勝を目指していたのでとても悔しい気持ちでいっぱいでしたが、3年間仲間と日々練習してきて、インターハイという最高の舞台で、チーム平工業として走れたことは一生の宝物です。この達成感や感動、悔しさを忘れずに、進学や就職、プロの道でそれぞれ精進していきたいと思います。
2022全日本選手権トラックジュニア 男子1㎞タイムトライアル 第1位、 男子スプリント 第1位
令和4年度全国高等学校総合体育大会自転車競技 男子1㎞タイムトライアル 第2位
「全国大会を終えて」 平工業高等学校 自転車競技部 山崎歩夢
今回、8月に香川で開催されたインターハイ、9月に静岡で開催された全日本Jr選手権、10月に栃木で開催された国体に参加してきました。結果は、インターハイと国体で2位、全日本では2種目で優勝することができました。
このような結果を残すことができたのは、支えてくれた両親、顧問の先生方、応援してくれた皆様のお陰だと思います。しかし、今回の結果は、自分の目標としていた記録・順位に届いておらず、悔しい結果でもありました。この悔しい気持ちを忘れずに自分のバネにして、より一層頑張っていきたいと思います。
卒業後は、日本競輪選手養成所に入学し、プロになり、オリンピックで金メダルを獲れるような選手になれるよう頑張りたいと思います。これからも応援の程よろしくお願いいたします。
第70回全国高等学校家庭クラブ研究発表大会 ホームプロジェクトの部 文部科学大臣賞
「ダブルケアラーの母とともに ~高校生の私にできること~」
耶麻農業高等学校 ライフコーディネート科 飯塚 妃菜
私はホームプロジェクトの研究を通して、障がいをもった弟と大腿骨を骨折した祖母のケアをしている母親のために高校生の私にも何かできることがあるのではと思い、家族と協力して取り組んできました。その結果、第70回全国高等学校家庭クラブ研究発表大会山形大会において文部科学大臣賞を受賞でき大変うれしく思います。
コロナ感染予防のため、会津地区大会は書類審査、県大会・東北大会はWeb開催となりましたが、全国大会はステージでの対面形式となり、とても緊張しました。しかし、研究サポートメンバーと協力し合って日頃の練習の成果を発揮することができました。これまでアドバイスをしていただいた専門家の方々、指導してくださった先生方、一緒に研究発表を支えてくてれた石井来空さん、尾﨑奈那さん、田澤叶夢さん、田村羽夏さんに感謝しています。
私は将来、母のような介護福祉士になりたいと思っています。そのために、現在、介護職員初任者研修を頑張って受講しています。このホームプロジェクトの研究が多くの方々に参考になってくれればうれしいです。
『君が学べば世界が変わる ~ふくしまから発信する新しい学び~』
福島大学 教育推進機構 高等教育企画室 准教授 前川直哉 氏
みなさん、こんにちは。福島大学の前川と申します。本日はよろしくお願いいたします。今回は、「君が学べば、世界が変わる」という演題でお話をさせていただきます。
まず、私の自己紹介です。私は、1977年に兵庫県で生まれ育った関西人です。1995年1月17日の阪神淡路大震災を高校三年生で経験しています。この日は、大学入試センター試験の2日後で、大学入試を控えたときでしたが、学校の周辺も大きな被害を受けました。私の実家のある尼崎市も大きな被害が出て、私の両親が経営していた喫茶店が壊れてしまうという被災の体験もしました。しかし、多くの方に支えてもらい、大学・大学院へと進んだ後、母校である灘中学・灘高校の教員になりました。そこで、中学高校の教員をしていましたが、2011年、東日本大震災そして原発事故が起こったときから、灘校の生徒とともに繰り返し福島を訪れることになります。繰り返し福島を訪れるうちに福島が大好きになり、2014年に灘校を辞めて福島にやってきました。現在も福島に住んでいます。最初は、一般社団法人「ふくしま学びのネットワーク」という非営利団体を設立して活動していました。2018年から福島大学の教員になり、「ふくしま学びのネットワーク」の活動も続けながら、大学の教員として学生たちとともに学ぶ、そういう日々を送っています。
本日は、まず私の体験として、私が神戸で経験した阪神淡路大震災、そしてその後、生徒とともに福島に通うようになった東北訪問合宿の話をさせていただいたあと、そこから私が福島でヒントを得た「なぜ学ぶのか」ということについて話をさせていただきたいと思います。
はじめに、神戸から福島へというタイトルで、まず、灘校と阪神淡路大震災の話からです。1995年1月17日朝5時46分、まだ暗い時間帯でした。神戸市に最大震度7という非常に大きい地震が起きました。神戸は、非常に人口が多く、そして工業都市でもある街なのですが、広い範囲で震度7が記録されました。私が通っていた灘校は、神戸市の東灘区で震度7を記録した地域にあり、震災で最も多くの方が犠牲になったところにありました。阪神淡路大震災というと、阪神高速道路の橋脚が折れてしまい600mにわたって横倒しになってしまった光景の写真を思い出される方も多いと思います。実は、これが灘校の1km南のところ、私の通学路、私たちの日常にあったものが突然壊れてしまった、それを象徴するような場所だったと思います。当然、学校の周りの建物も大きな被害を受けましたが、なんとか高校の校舎はギリギリ倒壊しませんでした。ただ、地割れが走ったり、渡り廊下が落ちたり、建物の中がぐちゃぐちゃになってしまったりしていました。体育館は、最初はご遺体の安置所に、その後は避難所として使われていました。私たちは、この体育館で卒業式を迎える予定の高校三年生でしたが、多くの避難者の方が暮らしていたので、私たちの卒業式は別の場所で行われました。本当に大変な中、卒業式だけでもしていただけて良かったなぁと思っています。以上が、高校三年生の時に被災した阪神大震災の話でした。
それから16年たった2011年に、阪神淡路大震災の当時、高校三年生だった私が、東日本大震災のときには教員として灘校の教壇に立っていた、そういうタイミングで東日本大震災そして原発事故を迎えることになります。東日本大震災のあと、私が初めて東北を訪れたのは、2011年8月になってからでした。夏休みに友人の教員と2人で岩手県の釜石市を訪れました。震災から5ヵ月たっていたので、少しは落ち着いているのかと思っていたのですが、津波の被害が非常に大きかった釜石市は、街の中にまだまだ瓦礫がたくさんあって、建物の上にも車や船が乗っているような状況でした。友人と懸命に泥かきをしたのを覚えています。その時の話を9月に生徒たちにしたところ、生徒たちから「自分たちも何かをしたい、希望者を募って東北にボランティアにいきたい」そんな声があがりました。それまで灘校は、ボランティア活動に対して決して熱心だった学校ではありませんでした。しかし、学校自体も阪神淡路大震災で被災しており、当時の高校生はちょうど震災の頃に生まれ、震災があって大変だったけれど全国から大勢のボランティアの人が来てくれた、おそらくそういう話を小さい頃から聞いて育ってきた子供たちだったのです。生徒たちの声に突き動かされるようにして、私たちは2012年3月、東日本大震災の一年後に、第1回東北訪問合宿という形で、高校生と私ともう一人の教員とで東北を訪れました。最初の合宿で訪れたのは、宮城県の山元町そして福島県の相馬市です。山元町では、津波で流されたイチゴハウスがあった場所の瓦礫の片付けを行いました。震災から1年たってもまだこのような状況であることに生徒も私も驚き、被害の大きさを感じながらボランティア活動を行っていました。山元町のあとに福島県相馬市を訪れました。実は、相馬・南相馬には、私の灘校の後輩のお医者さんである坪倉先生、当時は東京大学のスタッフで現在は福島県立医科大学の教授をつとめている方が、医療支援に入っていました。その彼がつないでくれた形で、相馬高校の生徒たちと灘校の生徒たちが交流するというそんなひと時が生まれました。やはり、同世代の子供たちが話し合いを持てたのは、とても大きな経験だったと思います。この最初の合宿が終わって、2回目の合宿を行うかどうか考えていなかったのですか、生徒たちは「ぜひ2回目も行きましょう、今度は後輩も誘います」そんなことを話してくれました。
最初はたった8名ではじまった合宿でした。旅費も宿泊費もすべて生徒たちの自腹で、学校が補助してくれたわけではないのに、生徒がまた行きましょうと言ってくれたことが現在まで続いています。今、コロナ禍で少しペースは落ちていますが、震災から11年たった現在も、神戸から灘中・灘高の生徒たちが長期休みになると必ず宮城や福島を訪れおり、これまで26回、のべ300名超が参加しています。ちなみに私は、10回目2014年の合宿までは灘校の教員として引率側にいました。その10回通っているうちに福島が好きになり、ちょうど卒業生を出すタイミングだったので、ここで教員を辞めて福島へと引っ越してきました。ですから、11回目以降は、引率側ではなく、灘校の生徒を福島で迎える側となり、よく来たねと案内しながらたくさんの人たちの話を一緒に伺うという形で合宿に参加しています。
なぜ灘校の生徒が、このように続けて福島あるいは宮城に来てくれるのかを考えてみます。1つは、被災地を実際に自分の足で歩き、見て、多くの方の話を聞くことがとても大切な役割を果たしてくれることです。もう1つは、活躍する「カッコいい大人」たちの姿を見ることです。そういったカッコいい大人たち、大変な状況の中でも復興に向けて懸命に努力している福島の方々を見て、話を聞く。それが高校生たちにとって大きな刺激になっていることです。この東北訪問合宿は、おそらく今後も引き続き神戸の学校から、あるいは全国の高校から来てくれると思います。
ここで、「カッコいい大人」というキーワードが出てきたことで、後半の「なぜ学ぶのか」というテーマに移りたいと思います。
まずはじめに、こちらのデータをご覧ください。これは、学校以外での1日当たりの平均勉強時間です。学校以外ですから、例えば宿題や予習復習、あるいは塾や家庭教師の時間も全部入れて、どのくらい勉強しているかというのを、今から40年前である1982年から10年ごとに2012年までとったNHKの全国調査です。これを見ると、例えば高校生の勉強時間は、40年前の1982年には1日当たり99分だったのが、2012年は66分です。一番少なかった2002年の55分に比べると多少持ち直していますが、やはり40年前と比べると勉強時間はかなり短くなっていることがわかります。このグラフを見て、なぜ日本の中高生は40年前に比べて勉強しなくなったのだろうと疑問に思われる方が大勢いると思います。それはなぜだろう、ゆとり教育のせいなのか?それともスマートフォンが普及したから?インターネットのせい?いろいろな理由を考えると思います。実は、ゆとり教育はあまり関係ありません。日本でゆとり教育が高校で本格的に導入されるようになったのは2000年前後ですので、それ以前からすでに学習時間は減っていました。もう1点、勉強以外の誘惑が増えたからか。1980年代も90年代も、中高生のまわりには誘惑がたくさんありました。家の外に多かったのか、家の中に増えたか、そういった違いはありますが誘惑自体は昔も今もあります。ですから、なぜ日本の中高生が40年前と比べて勉強しなくなったのか、この問いの答えはなかなか出てこないのです。それよりはむしろ、このように質問を変えてみるとわかりやすいのではないかと思います。「なぜ40年前の日本の中高生はあんなに勉強をしていたのだろうか?」けっして40年前が通常、いわば標準の姿であって今の中高生が勉強をさぼっているというふうに単純に見ることはできません。むしろ、40年前と現在では子供たちをとりまく環境が大きく変化しているのではないか。子供たち自身が変わったというより、子供たちをとりまく社会全体の環境が、この40年間に大きく変わったのではないか。歴史的に社会全体を比較する視点が重要だと私は考えています。
その背景は何か。1つ目は、40年前は受験戦争の全盛期でした。大学の進学率も現在より低かった(1985年26.5%→2020年54.4%)ですが、大学も高校もまだまだ倍率の高い時代でした。ですから、希望の高校あるいは大学に進もうと思うと、かなり受験勉強を頑張らなくてはならなかった。受験戦争の全盛期だから、勉強時間も長かった。これは大きな要因としてあげられます。もう一点、40年前というのは、まだ景気が右肩上がりを続けていた時期でしたので、いい学校に行けばいい会社に行けて、いい会社に行けばいい人生が送れる、これを「学歴神話」と言いますが、この学歴神話がまだまだ日本中にいきわたっていた時代です。いい学校に行って、いい会社に入って、会社で懸命に頑張れば、きちんと出世もしていくし、給料も毎年上がっていく。そういった右肩上がりの日本がまだまだ続いていた。ですから、40年前の子供たちがまわりの大人たちになぜ勉強しなくてはならないのと聞くと、返事は決まっていました。勉強は将来の自分のためだよ。勉強というのは将来自分が幸せになるためにやるんだ。東京大学の本田由紀先生という教育社会学者は、これを「エゴイズムを駆動エンジンとする戦後日本型循環モデル」としており、エゴイズム、つまり自分のための勉強が説得力を持っていた時代だったわけです。一方現在は、まず子供の数が半分近くに減って(18歳人口1992年205万人の半分近く114万人)います。ご存知のとおり、大学全入時代といわれ、全大学の定員数の合計の方が、大学に行きたいと思っている高校三年生の数よりも多い時代です。もちろん、人気のある学部や大学は現在もありますが、大学を選ばなければどこかの大学には入れる、40年前に比べると競争そのものが緩和されている。それが勉強時間の低下に大きくつながっている。そして、何より大きいのは、長引く不況です。不況が長引いて、学歴神話が崩壊してしまった。今の子供たちと私たち大人世代の一番大きな違いは、右肩上がりを経験しているかしていないか、そこだと思います。実際、いろいろな学校で講演をさせてもらいに行って、中学校や高校の子供たちに、将来、日本はだんだん良くなると思いますか?思いませんか?どちらかに手をあげてくださいと聞くと、日本がよくなると思っている子供は、どの学校で聞いても1割いません。5%くらいのほんの一握りです。圧倒的に多くの子供たちは、将来の日本はだんだん悪くなる、あるいはせいぜい現状維持で良くなるとは思っていません。そんな中、いい学校に入ったらいい会社に入れて、いい人生を送れるといった学歴神話の物語が、40年前ほど説得力を持てなくなってきた。ですから、将来の見通しそのものが暗い、将来の社会そのものが非常に不透明な時代に、勉強は将来の自分のためと言われてもなぁ、というのが今の子供たちのリアルな感想、感覚なのだと思います。もう一つのデータを見ますと、実質GDPは1955年頃から1980年代まではずっと右肩上がりで、日本は高度経済成長を続けています。この時期というのは、日本経済は右肩上がりですから、努力をすれば豊かな生活と国全体の成長につながるという実感があり、非常に幸せな時代でした。しかし、2000年代以降の実質GDPを見ると、日本経済は高水準で停滞しています。ある程度の豊かさは手に入れました。実際、戦後すぐに比べると人々の暮らしは改善されたのですが、なにぶん先行きが不透明なので未来に明るい展望が持てない。そういったときに、自分のためだけの勉強や、将来のために我慢して勉強しなさいというのは、もはや子供たちの学習のモチベーションに直結しないのではないかと、私は考えています。。将来の自分のためだよというのは、将来の自分と今の自分を天秤にかけて、今楽しいことをちょっと我慢して、将来の幸せのために勉強しましょうねという理屈だと思うのですが、子供たちにはこの将来の自分というのが描けない、将来の日本が明るいとは思えないわけですから、今楽しいことを我慢して将来にかけるよりも、今を優先した方がいい。いわば子供たちは、合理的な判断で勉強よりも現在を楽しむ、今楽しいことを優先しよう、となっているのが子供たちの傾向なのだと思います。ですから、今は我慢して勉強しようねという言葉は、40年前には通用しても、今の子供たちには響かない言葉になっていると思います。
しかし、そんな中でも、子供たちには学んでもらわなくてはなりません。では、どうすれば学びのモチベーションを保てるんだということになります。これについて、私も考えてきたのですが、なぜ学ぶのかの大きなヒントを、実は福島の子供たちから教えてもらいました。それは、ある意味、神戸の震災で私自身が体験したことでもあったのです。なぜ学ばなくてはならないのか、なぜ努力をしなくてはならないのか、なぜ成長しなくてはならないのか。それは、成長するということは、支えられるだけの存在から、誰かを支える側にまわる、それこそ、成長するということなんだということです。これを私は、震災のあと福島の子供たちに、特に浜通りの子供たちと交流しているときに、子供たちのいろいろな言葉から教わりました。きれいな言葉でいうと「恩返し」です。あの時いろいろな人にお世話になったらから、今度は自分が支える側にまわりたいということになりますが、私は、恩返しという言葉だけには収まらない、もっと強い感情が福島の子供たちにはあったと感じています。それは、誰かに支えられるだけでは嫌だ、支えられるだけで誰かに頼りっぱなしという人生は嫌だ、そのためには学んで努力して成長しなくてはならない。そういう強い感情を福島の子供たちから今でも感じるときがあります。ですから、自分のためだけの勉強ではなく、誰かを幸せにするために学び、支えられる側から支える側にまわる、ということを今の中学生高校生に話す。こうすると、単に自分のための勉強だよと言っているだけよりも、もっと勉強頑張ろうかな、もうちょっとやってみようかな、そういう気持ちにつながるのではないかと思っています。私はこれを「君が学ぶと、世界が変わる!」という言葉で表現しています。子供たちが学ぶことで、誰かが幸せになったり、笑顔になったりする。今はまだ出会っていない、将来出会うであろう誰かの幸せや笑顔につながる。そういうことを私は子供たちに伝えるようにしています。
実際に、福島に通うカッコいい大人たちを紹介することもあります。例えば、私のやっているふくしま学びのネットワークでは、これまで高校生を対象に、無料セミナーというものをやってきました。現在はコロナ禍でできていませんが、これまで福島・郡山・相馬・いわきで14回約2000人の高校生が参加してくれています。ここに来てくれている先生方、私の灘校の教員時代の先輩、あるいは大手予備校の全国的に知名度を誇る本当に素晴らしい先生たちが、交通費も謝礼もいらない、福島の高校生が学んでくれればそれでいいんだ、そんなふうにして毎回福島に来てくださっている。これは大変ありがたいことです。しかし、もしこの先生方があまり授業が上手くなかったらどうなっていただろうか。実際は3人とも本当に授業が上手で、生徒たちはわかりやすかったと言っており、来たときと帰るときで全く表情が違う、前向きな気持ちで帰っていくような授業が上手な先生方ですが、もし授業が上手くない先生方がボランティアで来ますといっても、来られる側としては困ってしまうんですよね。なぜ高校生がみんな喜ぶかというと、それはすばらしい力をもった先生方が来てくださっているからなのです。誰かの力になろうと思ったら、その本人がまず力をつけていなくてはならないのです。そうしたことをセミナーでは生徒たちに伝えています。
もう一人のカッコいい大人として、私の後輩、先ほど少しお話しした震災・原発事故のあと相馬・南相馬に医療支援に駆け付けていた坪倉正治先生を紹介したいと思います。彼は灘校を卒業したあと、東京大学の医学部へ進み、そして東京大学の医科学研究所のスタッフとしてはたらいていました。その彼が、震災・原発事故の直後、福島でお医者さんが不足しているという連絡があって、彼は一人で車を運転して南相馬に入り、相馬・南相馬の病院で泊まり込みの医療支援をし続けました。彼は、震災・原発事故のあと、当時多くの人が一番心配していた内部被ばくを減らすための調査活動をずっと継続して、綿密なデータを取り続けてきました。11年たった今も、彼は福島で活躍していて、新聞やテレビにもたくさん出ています。そんな彼に、一度しみじみ話しかけたことがあります。「坪倉君、あんた本当にすごいね、ずっと福島に通っていることもそうだけど、東京にいた方が、お医者さんとしての王道を歩み続けていた方が、ある意味安泰だったんじゃないの?本当にすごいね」と私が言ったら、坪倉君はこう言いました。「いやぁ、こんな日のために勉強してきましたからね」と。自分はこういう時のために学んできたんだ。そういった気持ちで福島に駆け付けてくれる、そんなカッコいい大人が福島にたくさんいます。
もう一人のカッコいい大人として、私の後輩、先ほど少しお話しした震災・原発事故のあと相馬・南相馬に医療支援に駆け付けていた坪倉正治先生を紹介したいと思います。彼は灘校を卒業したあと、東京大学の医学部へ進み、そして東京大学の医科学研究所のスタッフとしてはたらいていました。その彼が、震災・原発事故の直後、福島でお医者さんが不足しているという連絡があって、彼は一人で車を運転して南相馬に入り、相馬・南相馬の病院で泊まり込みの医療支援をし続けました。彼は、震災・原発事故のあと、当時多くの人が一番心配していた内部被ばくを減らすための調査活動をずっと継続して、綿密なデータを取り続けてきました。11年たった今も、彼は福島で活躍していて、新聞やテレビにもたくさん出ています。そんな彼に、一度しみじみ話しかけたことがあります。「坪倉君、あんた本当にすごいね、ずっと福島に通っていることもそうだけど、東京にいた方が、お医者さんとしての王道を歩み続けていた方が、ある意味安泰だったんじゃないの?本当にすごいね」と私が言ったら、坪倉君はこう言いました。「いやぁ、こんな日のために勉強してきましたからね」と。自分はこういう時のために学んできたんだ。そういった気持ちで福島に駆け付けてくれる、そんなカッコいい大人が福島にたくさんいます。もちろん、外から来てくれた人だけではなくて、もちろん福島に住んで、この福島をより良い状態にして次の世代に渡そう、こんな大変な状況の中でも諦めずに一歩ずつ前を向いて頑張っている大人たちが、本当にたくさんいます。
こういったカッコいい大人たちから学ぶこと、それは、誰かの力になるには力を付けなくてはならない、学校はそのための場所だ、私はこんなふうに子供たちに話しています。すべてオールマイティにできる必要はありません。何か一つ、これは他の人よりも得意だぞ、これは他の人の役に立つぞ、そういった自分なりの強み、あるいは武器を、ぜひ学校で学んでほしい。学校で力をつけてほしい。子供たちの学びあるいは努力は、必ず誰かにつながっている。みなさんが勉強していることは、必ず誰かの笑顔や幸せにつながる。みなさんがたくさん学び努力をすれば、それだけこの社会は笑顔と幸せの数が増えていくんだ。勉強は自分のためだけじゃない。君が学ぶことで、世界が変わっていくんだ。そんなことを、私はこれからも福島の子供たちに伝えていきたいと思っています。
本日は、ご清聴ありがとうございました。
(講演会の配信で使用された図表は、著作権の関係で掲載できません。ご了承ください。)
1 巻頭言 会長あいさつ
2 令和4年度福島県高等学校PTA連合会総会及び第72回郡山大会報告
3 第71回東北高等学校PTA連合会盛岡大会報告
4 第71回全国高等学校PTA連合会石川大会報告
5 令和4年度県高P連顕彰者
6 県教育委員会への要望活動について
7 各委員会活動について
8 各地区高P連活動について
9 栄光をたたえて
10 特集 令和4年度県高P連郡山大会講演会